2016年5月30日月曜日

尾根を歩く。

雨と紫陽花はいいね。
近年紫陽花は白が好きになりました。
と言っても特別好きな色があったわけではありませんが。

突然ブラウン管の画面が暗くなってうんともすんとも反応しなくなって電源さえも入らない。
いきなり逝ってしまわれました。

アンテナは元々繋いでないのでテレビは観れなくても構いませんがDVDを観れないのは辛い。
今のとこどうこうしようとは考えてないのでとりあえずこのままテレビなし生活でいいかと考えています。
もっといろんな物捨ててなんにもない部屋にしたいなと。


作者のことを知らなくてもタイトルがパッと目に飛び込んできた本を買う事が多いです。
あと、食べ物がタイトルに入ってるもの弱いです。




シリーズ 今日の一枚♫:THE NEWEST MODEL「SOUL SURVIVOR」

名盤中の名盤。

#シリーズ今日の一枚

2016年5月29日日曜日

今日も一日杓子定規で単純な大声を張り上げてる。

すっかり夏ですね。
今年の夏も過去最高に暑いらしいです。

日中をなんとかやり過ごし夕方はまた練習へ。

2016年阿波踊りへの旅。〜その37〜

17:00-19:00
東京新のんき連鳴り物練習

スタジオの空調が役立たずで支給された扇風機3台。
ただ生温い空気をかき回してるだけで何の意味もなくイライラ不快感MAX。

6/4 セシオン杉並での「セシオンまつり」では鉦担当。
所謂指揮者だ。
構成が頭に入ってないと指揮できないから叩き込む。

ガバガバ呑みたい気分だったが大人しく帰宅して静かに過ごす。
酒場の愚痴に未来はないぜ。


シリーズ 今日の一枚♫:ASIAN DUB FOUNDATION「ENEMY OF THE ENEMY」

#シリーズ今日の一枚


2016年5月28日土曜日

花と緑と酒と男と女と何かしら。

まだ薄暗い朝にいつもの川沿いをウォーキング。
すれ違うじいちゃんばあちゃんはかなり高確率で「おはようございます」と会釈してくれる。
そぉいう気持ちって素敵だね。






伊勢志摩サミットを終えて広島を訪れたオバマ大統領の記事を読んだ。
三回読んだ。

怒った人、遅いと思った人、いろんな意見があると思う。
クローズアップされた方々の言葉が広島の、日本人の全ての感情ではないというのは重々承知だが。

大統領を見送る広島の人たちから「来てくれてありがとう」という多くの声が上がったという。

「原爆はアメリカだけじゃなく、人類の過ち。未来に向かって頑張りましょう。プラハ演説でノーベル平和賞を取ったんだから、遊んどったらダメですよと伝えました」
「オバマさんは優しい人、笑顔を浮かべてしっかりと聞いてくれました。『人類の平和について語ったオバマさんの演説を聞いて、ワクワクして生き返りました』と言うと、喜んで笑ってくれましたよ」

この言葉を読んでボロボロ涙がこぼれた。

原爆を投下した国の大統領だ
71年越しだ
謝罪はない

とかの全てを超越して出る言葉だと感じた。

人間の感情で一番難しいのは「許すこと」だと聞いたことがある。
実際俺もまだ許されてないだろうし今だに許せない人がいるのも事実。

許す心ってなんと尊いんだと三度繰り返して読み三度泣いた。
そして自分が小さくて情けない。



2016年阿波踊りへの旅。〜その36〜

朝も早よから下井草。
井草森公園にて行われる第14回花と緑の井草祭り出演。

野外での演舞は気持ちいい。
お客さんもたくさんで調子も上々で楽しく終了。


下井草から芝公園へ移動。
二回目は連員の結婚式での演舞。

こちらは当然皆さんアルコールも入っていて大変盛り上がっていただきました。
新郎新婦にも喜んでもらえたみたいで何よりです。

しかし東京タワーってほとんど来る機会ないんですが夜でも人でいっぱいですね。

さすがに移動ありの2会場は疲れました…
HIGHでのKENZI&THE TRIPSワンマンを観に行きたかったんですが体力の限界!+中央線が止まっていたのもあり大人しく帰宅。

「お客様満足度No.1」と帯付きの映画を借りて帰宅。
全く満足できる内容でなかったというラストにしょんぼりな一日でした。




2016年5月26日木曜日

ロード第十三章。

なーんでか昔の話をさっき急に思い出してその時の感情が込み上げてきたので書いてみる。

バイトしてたガソリンスタンドはマンションと併設していてマンション側のご好意か何かでゴミはマンションが管理するゴミ集積所に出していた。

俺が働き始めてしばらく経った頃にマンションの清掃員のおじさんがやって来て言った。
「あんまり言いたかないんだけどさ、お宅のゴミは分別がすごく悪くてこっちで袋全部開けて分別やり直してるんだよね」と。
その事実を知らなかった俺は平謝りをして一番下っ端ではあるが店長、社員、他のバイトにこれからマンション側に迷惑をかけないよう分別をちゃんとしよう!俺が分別担当になる旨を伝え次の日から可燃ゴミ、不燃ゴミ、アルミ缶、スチール缶、ペットボトル、ペットボトルのキャップ、瓶と7種類のゴミ箱を設置。
瓶、缶は一度中を水で洗い逆さにして一晩置き水分を完全に切った状態で分別、ペットボトルも同じくだがラベルを剥がしキャップは別にした。

コンビニ系の弁当や缶に突っこまれた吸い殻も一度綺麗に洗い水分を切って分別。
マンション側がゴミ袋の下に溜まるコーヒーやジュースを特に嫌ったのでストロー付きのカフェオレや牛乳などはストローに残った水分を切りパックを開いて洗い一晩干して分別した。

最初の一週間くらいは慣れずに面倒でしょうがなかったがそのうち責任感が芽生えやり甲斐も感じるようになり俺は臭いや汚れが気になっても細心の注意を払い分別を毎日続け、社員や店長が雑な分別をした時は注意してやり直してもらったりもした。



そして数ヶ月経った頃いつものように清掃員のおじさんと朝の挨拶を交わすと「最近ゴミの分別完璧だね!ありがとう。」とお礼を言われとても嬉しかったとともにこの時には分別することは当然でむしろ感謝されることに違和感があった。

それから2年ほど経ち7種類の分別は店員の中では常識として根付き日々が経過していった。
そんなある時店長と社員が他エリアに移動となり新しい店長と新しい社員が入れ替わりで編入されてきた。

実はマンションの住人と同じゴミ集積所にゴミを出すという店舗は珍しく通常は事業ゴミとして業者が回収に来ていた。

新しい店長も社員も最初は7種類にもなるゴミ分別に面食らった感じでぶつくさ言いながらめんどくさそうにやっていたが移動してきて3日もしないうちに新しい社員と店長がゴミ箱の前で「なーんでこんな面倒なことやらなきゃいけないんだ?時間の無駄だから本社に掛け合って事業ゴミの手続きにしてもらおう」と話し合っていた。
俺はなぜこの店がマンションと同じゴミ集積所に出すようになったきっかけも知らないし働き始めた時からそうだったので面倒だとは思わなかったし何より綺麗に分別するのも性格上向いていたし苦ではなかった。
そして清掃員の方や住人とも集積所で挨拶を交わしたり雑談するまでの仲になっていたからちょっとした寂しさもあった。


一週間ほどして申請はあっさり通り今後事業ゴミとして週二回業者のトラックが回収にくると伝えられた。
そして一人の社員が俺がゴミ箱の前にイラスト付きで7種類の分別や注意点を細かく書いた(一番下には赤の太字で皆さんよろしくお願いします^_^)大きな貼り紙をいきなり俺の眼の前で無表情でバリバリバリバリと剥がしクチャクチャに丸めてゴミ箱に投げ入れ「あーこれで面倒な分別なくなって良かったな!」と7つのゴミ箱を3つにして分別は可燃、ペットボトル、缶&瓶でいいとみんなに通達した。

次の日から弁当の食べ残しがあろうがジュースやコーヒーの中身が入っていようが関係なくバンバン捨て始めた。
でもやっぱり俺はなんだか気持ち悪くて今までやってたように飲み物は中身を捨てたりなるべく水分を切るよう出してたんだけど今まで一緒にやっていた他のバイトまでも「もう水分切ったりしなくていいんだよ」と俺を変わり者を見るような目で笑いながらゴミを捨てた。
当然ゴミ袋の底にはコーヒーやジュースや弁当から出た汁が混ざって溜まっていたが業者はそんな事はお構いなしで荷台にゴミ袋をぶん投げすぐさま去っていく。

なんとも言えないような感情。
まるで今まで一生懸命頑張ってやってきたことを全て否定されたような気分だった。
もちろん事業ゴミとして扱われるため細かい分別も必要ないし面倒な作業が無くなり喜ぶべきなんだけどなんだか気持ちを踏みにじられたような気がして寂しかった。

集積所に行くこともなくなり清掃員のおじさんとは会釈する程度になり俺もいつしか細かい分別を忘れ何の感情もなくただゴミ箱にゴミを投げ込むようになっていた。

そんなことをなぜか急に思い出した昼下がり。

※本文と画像は一切なんら関係ありません。


2016年阿波踊りへの旅。〜その35〜

19:00-22:00
東京新のんき連全体練習@座高円寺

2日後に控えた井草公園での演舞前の最終調整。
ストラップの長さをちょっと調節したら随分叩きやすくなった。
しかし細かいミス連発だったな…
とにかく当日は楽しんで叩こう。


2016年5月25日水曜日

ボクの女に手を出すな。


昨日探し物してたら随分昔のカセットテープを発掘。
RUMTAGとMAXUSとTHE MODERN CITY DOLL。

懐かしいね。
ちなみにモダンはこの後THE MODERN CITY BOXになったのかな?
初めてライブ観たのは解散の寝屋川VINTAGE。
ラスト辺りでクールスのカバーやっててそれがすごくカッコよかった。

それからMAXUSが解散してから半年くらいつっさんとバンドを組んでいた。
TRACY大好きだったからその初代ギタリストであるつっさんがある日家に来て「俺と一緒にもっといい景色見ようや」と言ってくれたのを凄い感激したのを憶えてる。 
つっさんは男らしくてイメージ的に高倉健みたいな先輩。
大好きだったな。
俺あの時21歳くらいだった。
細かいことほとんど憶えてないけど本当に毎日刺激的だった。


レコーディング2ndシーズン5日目。
最後の作業となるハンドクラップ&ストンプ録り。
雪駄だけに一人ペタペタ鳴ってすんません。


二つのスタジオで二回に渡ってのレコーディングも楽器、歌の録音終了。

途中連日の(応援)疲れからかスタジオの床で撃沈。
「終わったよ〜」の声で起こされるとスタジオは撤収中。

意地でも高円寺で打ち上がるという明確なビジョン、確固たる意志の元、迅速に移動。
滑り込んで乾杯。
お互いを労いワイワイ楽しく呑んだ。

まだTD&マスタリングが残っているがひとまずお疲れ様でした。




2016年5月24日火曜日

キャベツ太郎vs蒲焼さん太郎。

朝は方南町ちかてつそばにて野菜かき揚げ天そばな朝食。

そろそろこの「立ち食いそば見かけたら無条件に入る」ルールを止めにしようかと思っています。
最大の理由はそれほど蕎麦が好きではないってことです。(もちろん嫌いでもありません)
それかまだ美味い蕎麦に出会っていないからなのかもしれません。

こんな中途半端な気持ちでいたずらに蕎麦を食べ続けることは蕎麦職人さんや全日本蕎麦協会の方に失礼かと思われます。

自分うどんの方が好きなんです…



レコーディング2ndシーズン4日目。

己の肉体と会話するように時に激しく、時に労わり魂のナイステイクを連発する高野氏。


長らくベンチを温めていた我々魂の応援隊にも久しぶりの出番が。

腹から声出して叫びやがれ!

という鬼教官の指導の元ギャーギャー叫んだ。
こんな夜に。



シリーズ 今日の一枚♫:fox capture plan&Keishi Tanaka「透明色のクルージング」

毎回律儀に音源を送ってくれる司ありがとうね!
晴れた朝のウォーキングに最適な爽やかな一枚。
感謝!

#シリーズ今日の一枚

2016年5月23日月曜日

NATIVE STRANGER。

天気も良く気持ちがいい朝にウォーキング。
最近なかなか20㎞の壁を破れません。
いよいよ壁はなくなると思ってたんですが。

壁といえば実家時代に親父が部屋に来いと熱烈に誘うもんだから嫌々部屋に行くとピンクフロイドのライブ映像を観ろと半ば強制的に。
ちっとも良さがわかりませんでした。
Oi!Oi!言わないし…とか思いながら。
今だったらきっと好きになるような気がします。


レコーディング後半戦。
これまでのレコーディングでは待ち時間絵を描くこと多かったんですが今回はなんだかんだバタバタしてその時間もないんですがゆっくり絵を描く時間とかも作りたいです。
とかそんな事言ってるうちは無理でしょうね。

絵を描きたい
キャンプしたい
BBQしたい
山登りしたい

全部考えてるだけで月日が経ってしまってます。
やりたいなら実行に移さないとダメですね。





氷室派か布袋派かと聞かれたらROGUE派と答えます。
群馬ロックではROGUEが一番好きです。

BOΦWYは最初は正直好きじゃなかったです。
自分チャラチャラしてるの嫌いなもんで…
というかチャラチャラしてるように見えたんです当時は。とにかく女生徒がキャーキャー言ってるような印象でしたね。
そんな軟派な音楽聴かねぇよと鼻で笑ってました。

なんせ当時はLAUGHIN' NOSEやKENZI&THE TRIPSやTHE WILLARDなど日本のパンクロックに夢中でしたし地元でも1コ、2コ上の世代でハードコアパンクをオリジナルで演奏するバンドが増えてきた刺激的な時期でした。
そんなバンドブーム真っ最中のある時地元のライブハウスに行くと10バンド出て6つがBOΦWY、4つがラフィンのコピーバンドで「季節が君だけを変える」と「GET THE GLORY」をバンドの数だけ聴かされてウンザリしたのを憶えてます。
誰もオリジナル曲を作るという発想がなかったんでしょうね。

愛だの恋だの歌ってる軟派なバンドという勝手な決めつけもMORALやINSTANT LOVEを聴いてすぐにぶっ飛ぶわけですが本格的に好きになったのはもう少し後の話。


解散して氷室、布袋さんのソロも追っかけました。
ヒムロックは特に「NEO FASIO」が大好きなアルバムです。
「CALLING」は名曲だと思います。

そしてピークはツアーメンバーにROGUEのギター香川氏とベース西山氏が名を連ねた時期ですね。
ソロになるとすぐ海外のスタジオミュージシャンとかでバックを固めがちですが地元のミュージシャンを起用する辺りがニクい演出というか単純にROGUE好きとしては嬉しかったですね。


「Memories of Blue」も素晴らしいアルバムだと思います。
捨て曲なし、全編ミディアムでダンディーなロックです。
これが130万枚も売れたなんて凄いですね。




そのヒムロックのLAST GIGS@TDの夜に同じくBOΦWY世代のてっちゃんは深夜に大声でがなりながらナイスなテイクを連発していました。 

2016年5月22日日曜日

カラムーチョ。

レコーディングにはそれぞれが持ち寄ったスナック菓子や完全におつまみ系が山積みになっていてちょっとしたホームパーティー風。
もしくはリッツパーティーができそうです。
最近はスタッフ氏からの粋な計らいか蒟蒻畑も含まれるようになりました。
食ったら食った分太る俺のためですね。


魂こがして歌うボーカリスト。
魂の応援隊。
みんなじっくり聴きながら根気よく付き合います。

いいアルバムだなと思います。
当然ながら「バンド!」って感じのロックンロールがギッシリ詰まっています。

ダメージ加工。
電車の中だとだいたい二度見される。


引き続きコーエン兄弟週間。
トムハンクス作品はこれまで無意識に避けてきましたがこれはやはりコーエンだけに面白い。



2016年5月21日土曜日

サラダ記念日。

前夜に阿波踊り関係で連絡が入る。
翌朝の本番に関しての段取りについてだが初めての催し物なだけに手探りで状況や指示が二転三転して結局帰宅した20時から日付けが変わるまでの約4時間途切れることないLINEメッセージの応酬。右手が腱鞘炎になるかと思った。
しかも2ステージ中の一つはソロ出演なので曲の構成などをおさらいしたかったのにその時間も全くなく電池切れで就寝。



翌朝
着物にアイロンをかけ洗濯を。
楽器運搬があるので少し早めに家を出て久しぶりに高円寺「うどん そば桂」にて所謂田舎そばな朝食。

いつも使用している座高円寺が関係者でごった返して足の踏み場もないだろうということで着替え場所にP.I.Gを確保。
パンクスmeets阿波踊り
高円寺ならではの光景だ。

本日は高円寺阿波おどり連協会に所属する連による熊本地震支援チャリティー阿波おどり。

我々東京新のんき連はどちらの会場ともトップ。
嫌いじゃないです。
むしろ好きです。


高円寺駅前北口広場にての演舞はお客さんのムードもあたたかくとても演奏しやすかった。
何より快晴の空の下太鼓を叩くのは気持ちがいいです。

場所を移して座高円寺前での演舞。
こちらはスペースがかなり狭いので出演者も最小人数で。

演奏自体特に悪くはなかったんですが今ひとつ面白味に欠けるというか強弱や抑揚のない平坦な演奏をしてしまったなと終わってすぐ猛省。
ミスしないことを頭の大半を占めるような演奏になっては駄目だと思います。
まだまだ修行が足りませんね。


すぐに帰宅。
シャワーを浴びてコロンは叩かず出発。
本日よりレコーディング再開です。


慣れ親しんだスタジオでの作業は安心感があります。そして本格的にボーカル、ギター、鍵盤のリズム隊の録音が始まるわけです。



K.Z.Mこと弘行さんが飲んでいたこちらの飲み物。

なーんかに
似てるなぁ
んー
なんだろな?

とずっと考えてました。
もちろんブース内の熱演を聴きながらですよ。





これでした。
スッキリ。


てっつぁんのギター録りを中心に。
俺はギタリストじゃないからなどとおどけてみせながら入魂のテイクを連発します。

デビューアルバムでは初のツインドラムでのレコーディングだったりこの5人で初めての共同作業ということもあり手探り感や不安感など抱えてみんなで乗り切ったような気がしますが今回はいい意味で慣れて作業もとても円滑です。
そして5人それぞれ役目があり誰も欠かせないような絶妙なバランスで成り立ったグループになりつつあると感じています。